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わが国における庭園の起源については、「日本書紀」の記述や遺構の出土などによると7世紀初めの推古朝までさかのぼることができる。
当時の庭園として特筆されるものとして、蘇我馬子の庭園があげられるが、これは大和の飛鳥川のほとりに住居を建て、庭に池を掘り小鳥を配したものであり、風致的な取り扱いのなされた庭園だったようである。また万葉集に詠まれている草壁皇子のもがりの島宮は荒磯をあらわした大きな池が掘られ、鳥が飼われ、岩つつじが植えられていた。
平安時代に入って、京都の自然環境特性に支えられた庭園様式が発達した。まず最初は京都の周辺にある自然庭園材料を用いた様式であった。これは貴船石、白河御影石等を用いた石庭を生み出す結果となった。
そして、この平安時代後半になると、京都の自然環境、自然景観を庭園造りの背景としてそのまま利用するという様式が発達してくることとなり、湧水、遺水をその特徴とした寝殿造り庭園が主流をなすこととなった。代表的なものに神泉苑、嵯峨大覚寺がある。この寝殿造り庭園の形態・意匠については、作庭記(前栽秘抄)に詳しく述べられている。
また、この平安末期には、浄土曼荼羅の構図を具体的に庭園構図として用いた浄土式庭園もみられるようになった。浄土式庭園の代表的なものとしては京都の平等院、浄瑠璃寺、平泉の毛越寺庭園があげられる。
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